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ウォー・ギルト・プログラム: GHQ情報教育政策の実像

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占領期に連合国軍総司令部は、戦争の有罪性を日本人に認識させるための政策「ウォー・ギルト・プログラム」を実施した。のちに江藤淳らはこれを、侵略戦争観を日本国民に植え付けるためのもので、洗脳であるという立場をとった。本書は、膨大な資料に基づいてプログラムで最も重視された点や内容の変遷などを詳細に検証し、従来の説に異論を唱える意欲作である。

目次

【目次】
序章 「ウォー・ギルト・プログラム」とは何か
第1章 日本人を知る
一 知日派スミスと対日心理作戦
二 対日心理作戦会議での議論
三 本土へのビラ投下作戦
第2章 「軍事的な完全敗北」を認識させる
一 占領管理体制に対する日米のせめぎあい
二 「戦争の有罪性」認識の欠如
三 「ウォー・ギルト・プログラム」の開始
第3章 「残虐行為」を理解させる
一 占領軍とメディアのせめぎあい
二 「残虐シリーズ」
三 ラジオによる啓蒙
第4章 「戦争の真実」を提示する
一 「太平洋戦争史」
二 「真相はこうだ」
三 「戦争の真実」の受容
第5章 東京裁判判決を受け入れさせる
一 宥和路線へ
二 「真相箱」放送開始
三 東京裁判との結び付き
四 新たなプログラムへの提言
第6章 原爆投下に向きあう
一 日米原爆観の相克
二 原爆投下をめぐる記述の変遷
二 原爆関連報道への対応
終章 「ウォー・ギルト・プログラム」の意義と評価

あとがき
史料および参考文献
索引

302 pages, Hardcover

Published August 10, 2018

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加茂道子

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October 19, 2025


Notes:

軍事的な完全敗北についての2つの意味
一つは、大日本帝国陸海軍が、ここの洗浄における先頭でなく、戦争全体において完全に叩きのめされ決着がついたという意味の「完全敗北」である。その背景には、第一次世界大戦後に、「敗れていない」との言説が生み出され、再度軍事的に台頭したドイツという失敗例の教訓が会った。占領軍は、日本側が、「無条件降伏」したにもかかわらず占領軍に大使さまざまな要求を行い、さらには原爆投下批判の国際世論を盛り上げようと画策したのを知って、「完全敗北」が日本側に理解されていないと捉えたのであった。もう一つは、原爆投下や科学技術の劣勢ではなく、軍事的な戦術や軍指導部の間違った作戦により敗北したという意味での「軍事的な敗北」である。占領軍は、これを日本側に認識させなければ、軍国主義者に責任を追わせることが難しくなると考えていた。さらには、「軍事的敗北」が成立しなければ、勝利をマッカーサーの手柄とすることができず、占領政策を進めるうえで支障が出る可能性があった。つまり、プログラム開始の背景には、国民から軍国主義思想を排除するという長期的な目的だけでなく、「軍事的な完全敗北」を理解させ、占領を軌道に乗せるという短期的な政治目的が会ったことが窺える(88)

「日本人に対する罪」

太平洋戦争史vs.東京裁判
「太平洋戦争史」では、軍部は戦争を推し進めたが、A級戦犯である広田弘毅・・・は戦争阻止の立ち場をとっていたと描かれた・・・広田については、後述する「真相はこうだ」でより詳しく言及されているが、そこでも同様に、侵略戦争に歯止めをかけようとしていた人物として描かれている。広田がA級戦犯として逮捕されたのは「太平洋戦争史」連載が開始される直前の12月2日であり、「太平洋戦争史」が東京裁判を睨んで作成されたものであったとすれば、広田の部分のみの修正は可能であったはずである。また、「真相はこうだ」での広田に対する言及は、12月16日と、さらにあとである・・・

「太平洋戦争史」と「東京裁判」は、類似性はあるものの、重要事項における相違点も多いことがわかる。特に東京裁判は東條を侵略戦争の罪で裁き、それを国家の罪として追求することが第一義的な目的であったことを考えると、東條に関する記述における相違は、枝葉末節として片づけられものではない。広田も同様に、東條、近衛と並ぶ戦争開始前の首相経験者であり、文民とはいえ東京裁判では重要な位置を占めることは明らかであった。こうした点に鑑みても、「太平洋戦争史」が、「東京裁判」を見据えて記述されたものではないことは、明らかであろう(155)

ターニングポイント
CIEのメディア政策のターニングポイントが、1946年1月であったことを示している。それは強権的な路線から宥和的な路線への変更という、手法の転換であった。ラジオでは共産主義者の出演が減少し、新聞指導は懇談会での質疑応答を通しての自発的学習という方法に変化した。「ウォー・ギルト・プログラム」においては、残虐行為の暴露が減少した。共産主義者のラジオ出演減少の主な原因としては、CISからの警告書、および新聞懇談会でCIEは共産党寄りではないかとの質問が出たことを挙げた。その一方で、政治状況に目をやると、おそらく宥和路線への転換に関係したであろう別の要素、すなわち、①「人間宣言」によって新たな天皇制への地歩が固まったこと、②公職追放による保守勢力の後退、③選挙に向けた公平性の確保、の③点が関係したと思われる。このうち、①②の「人間宣言」と公職追放による影響は、占領政策全体の背景として検討すべきであろう。加えて、この時期に見逃してはならない重要な点として、占領体制が軌道に乗ったことが挙げられる。これは次の2つの側面から説明がなされる。一つは、占領体制の最大の障害の一つは国体護持をもくろむ旧体制派、いわゆる保守勢力であ¥ったことはこれまで指摘したところであるが、その主要人物が公職追放により表舞台から消えたことで、占領体制における最大の障害が消滅したことである。さらに、「人間宣言」により新たな天皇制への土台が完成した。これはすなわち、保守派が維持したいと考えていた大日本帝国憲法下での天皇制が崩れ去ったことにほかならない。また、新たな天皇制の基礎が定まったことは、米国世論およびワシントン国務省に大使て、マッカーサーが占領の主導権を得るという意味で勝利が確定したことをも意味している(190−191)

日本国民の責任
それまでの「ウォー・ギルト・プログラム」では、軍国主義者の責任のみが追求されていた。このプログラムの根拠となっているCIE設立司令a3項には、「すべての日本人に彼らの戦争有罪性と戦争責任を周知させる」とある・・・国民の戦争責任とは軍国主義者を支持した罪であり、日本国民には戦争犯罪を容認する社会を再びつくらない責任があるということを始めて示した(201)

侵略とは
この時点で、「侵略」ないし「侵略戦争」の定義は国際的に確定されていなかった・・・残虐行為が行われたがゆえに、戦争が自存自衛のためではなく侵略であったと捉えられているのである・・・CIEの考える戦争の侵略性とは、先制攻撃を行って戦争を開始したことも意味している対米戦争は、対中戦争床となり米国本土への攻撃があったわけではない。米国の一部であるハワイの真珠湾という一致点を攻撃しただけである。また、米国の主権を侵したわけでもない。しかし、このように侵略戦争を自ら戦争を開始したことと定義づけることで、対中・対アジア戦争だけでなく、対米戦争をも侵略戦争とみなすことが可能となった(204)
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