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新魔の山

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 トーマス・マンの小説『魔の山』を登頂できた人は、どれほどいることだろうか。ルートは、今現在の日本ではもっとも一般的なのは高橋義孝ルートであろう。さらに関泰祐・望月市恵ルートと圓子修平ルート、その他、いくつかのルートがあるようだが、それらに加え、もうひとつのルートを切り拓いてみたのが本書である。ほぼ佐藤晃一ルートを行った。abridged editionと断りを入れたが、それは言わばヘリをつかって登頂したようなものだ。とは言え頂上からの眺めは素晴らしかったし、途中もエキサイティングなものだった。で、タイトルは『新魔の山』と変えたわけなのである。今日まで『魔の山』に挑んではみたが登頂できなかったすべての読者にむけて本書は編まれた。

 さてマンの小説『魔の山』の成立の経緯はおよそ次のようである。一九一二年五月、トーマス・マンの妻カティアに結核の疑いが生じ、ダヴォスの療養所に長期滞在することになった。彼は妻を見舞いにダヴォスのサナトリウムを訪れる。マンはその土地と施設の奇妙な雰囲気に触発され(それは、本編のなかでもたびたび言及される)『魔の山』の作品構想を得て、翌一九一三年の夏頃に執筆を開始する。ところが一九一四年八月に第一次世界大戦が勃発し、『魔の山』の執筆は中断される。戦争が始まると、マンはドイツの戦争を支持する論考を発表して多くの批判に見舞われる。寄る辺なき精神状態となった彼は、ミュンヘンに身を置きながら思想的彷徨を続ける。やがて一九一九年四月『魔の山』執筆は再開され、一九二四年九月、ついに完成する。
 こういった経緯を経て出来上がった『魔の山』は当然のごとく複雑な作品となった。ナフタとセテムブリーニの対話と論争において、それは顕著である。一九二九年のノーベル文学賞受賞に際しても、受賞の主要作品は『ブッデンブローク』とされている。
このナフタとセテムブリーニの対話と論争について、次のように記述している読書人もいる。「ロドヴィコ・セテムブリーニの思想とレオ・ナフタの思想の対立が圧巻である。セテムブリーニは、スコラ哲学を説き、果てはヴェルギリウスから国家論にまでおよんでしばしば登場人物を煙に巻く。セテムブリーニの膨大な発言を読み取れば、トーマス・マンがこの一冊にこめた文明的世界観が詳細に俯瞰できる」
 しかしセテムブリーニの思想とナフタの思想が対立するとき、アントン・カルロヴィッチ・フェルゲは次のような言葉を呟く。「自分は単純な人間であるから、高尚な話は自分には全く縁がない」それにすぐ続けてマンは次のように記す。フェルゲの話はどれも高尚な話ではなかったが、すべて実際的で聞いていて愉快であった。abridged edition『新魔の山』を構築するにあたって心に思い浮かべたことも、このフェルゲの言葉であった。この大作を難解なものにし、しかも物語としての面白さを減衰しているのも、その辺にあるのではないか(ノーベル賞の選考過程で問題視されたのも、その辺りであると聞く)
 マンの死後、彼の作品の集中的な映画化が始まった。ゲルハルト・ランプレヒトの『ブッデンブローグ』以来、二十三本の映画化が行われている。その事実は(映画の原作としてかれの作品の多くが成立していること)、彼が二〇世紀を代表するストーリーテラーであることを示している。さらに本作のマダム・ショーシャ、ナフタ、セテムブリーニと、その父と祖父、ペーペルコルン、ベーレンス、クロコフスキー、カーレン・カールシュテット等々の印象深い人物たちを見れば、マンがいかに人物描写の巧者であるかもわかる。彼ら目の眩むような個性的な登場人物たちに出逢う歓びを味わっていただきたいと、つまり物語を読む楽しさの享受に力点を置いて編纂されたのが本書である。そして、さらなる高みに挑みたい方は、このabridged editionをベースキャンプと考えていただいて、他の完訳版を読破されることを希望する。

 結核は、日本でも明治時代から昭和二十年代までの長い間「亡国病」と恐れられ、最近まで死亡原因の第一位であったことは、この小説を読むにあたっては忘れてはならないことだ。ヨーアヒムの結核が重篤となり、軍務を離れ、このサナトリウムにふたたび戻って来ざるをえなくなってから、トーマス・マンの筆の運びは、いっそう細やかになってゆくし、読者の「共感」をさそう次のようなシーンが現れる。そういうシーンこそabridge にあたって除外できないものであった。
 「ハンス・カストルプは吹雪のなかを、橇で駅まで迎えに出た。彼は、叔母が彼の顔を見てたちまち怯えてしまったり、さりとてなんでもないらしいと誤解なぞしないように、ホームの上で、列車のはいってくるのを待ちながら表情を整えた。
 ――こういう出会いがこれまで幾度この駅でおこなわれたことであろう。汽車から降りてきたほうが出迎えの者の眼からすべてを読みとろうとして不安気にその眼を見つめながら、双方から駆け寄るといった光景が、これまで幾度くり返されたことであろう」
 さらに、次のような一場面。
 「ヨーアヒムはツィームセン夫人の手を取ったが、ヨーアヒムの手は顔と同じように黄ばんで骨ばっていた。元気だったころのヨーアヒムのちょっとした悩みの種になっていた耳は、こんなに痩せたために、前よりもいっそう突き出て不格好になっていた。この欠点をのぞけば、いや、この欠点があるにもかかわらず、その顔は苦悩のしるしと真面目なきびしさ、いや誇らしさとさえ言える表情とによって、いっそう男らしく美しくなっていた。もっとも、黒いちょびひげを蓄えたその唇は、頬の肉がそげて暗いかげを帯びているために、厚ぼったく見えた。眼と眼とのあいだの額の黄色い皮膚にはふた筋の皺が刻まれ、眼は骨ばった眼窩に落ちくぼんではいたが、以前よりは美しく大きくなっていて、ハンス・カストルプはそれを見ながら嬉しい気がした。というのも、ヨーアヒムが寝つくようになってからは、その瞳から錯乱、懊悩、不安の色がいっさい消えていたからだが、その暗い落ち着いた瞳の底には、かつて認められたあの光だけがたたえられていた。したがってあの威嚇的な色も残っていたのはいうまでもない。彼は、母親の手を握って、小声で『こんにちは』とか『よくきてくれました』とか言っているあいだ、笑いを浮かべなかった。彼女が部屋にはいってきたときにも彼はにこりともしなかった。この無表情な動かぬ顔こそ、すべてを語っていたのである」

 トーマス・マンは、セテムブリーニとナフタという二人の知的なおしゃべりからカストルプを解放してやれるような人物を探していた。マンはゲルハルト・ハウプトマンその人に会って、その特徴を用いてペーペルコルンという作中人物を創作した。トーマス・マンが、ハウプトマンと最初に出会ったのは 一九二三 年の秋であって、場所は北イタリアのボーツェン、休暇中に何回か一緒にお酒を飲んだと語っている。それは『魔の山』完成の約一年前のことであった。詩人の堂々として心をゆり動かすような印象に支配された。この体験が個々の外的な特徴に関していえばペーペルコルンの形成に影響を与えたのは否定できない。ペーペルコルンがサナトリウムの人々に聖書の一節を紹介する場面。ペーペルコルンは眠りを賛美した後でゲッセマネを思い出せという。イエスがゲッセマネで祈っている間、弟子たちは眠りこけていた。「弟子たちのところへ戻ってご覧になると、彼らは眠っていたのでペテロにむかって言われた。『あなたがたはこのように、わずかな一時もわたしと共に目を覚ましていられなかったのか』――「ペーペルコルンは頭を斜めにかしげていた」これは、十字架上のイエス・キリストの姿であろう。ハウプトマンは、独特で、半ば滑稽だが、半ばいつも人を感動させて、深く人の心をとらえ、愛と畏敬の念とを生じさせる味わいがあったという。その人物をモデルにしたペーペルコルンは本作品では充分に活かされて、多くの印象的なシーンを創りだしている。トーマス・マンは第一次世界大戦を経て『魔の山』を書きあげたわけだが、ハンス・カストルプという個人の全的把握をめざすかのように、彼の全てを悠揚迫らぬテンポで描き、第二次世界大戦ののち隆盛を極める「全体小説」の端緒をなすような作品に仕上げてみせた。

387 pages, Paperback

Published June 14, 2023

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トーマス・マン

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