Reader47 reviewsFollowFollowJuly 13, 2024忘れる、とは人間だけに与えられた特権だコンピューターですらできない選択的忘却決していい加減に忘れているのではなく、意味のあるものとないものを区別して忘却している物を知らない人の方が新しいことを考えるのに優れている忘却は大事。用のなくなった知識が頭の中に入っていることで思考力を抑えたり、活気を失わせたりする忘れた方がいいものを選り分けて、用のないものは捨てる不要な情報を排出している*最初おもんないなー思ったけどなかなかおもろかった特に面白かったこと・忘れることが大事・同じ専攻の人と話すんじゃなくて違うジャンルの人と話す方がアイディアが出る(近親相姦と同じ)・あとがきの言葉たち・It seems to me(ぼんやりと思考が降ってくる受動型)とI think (〜だのオブラートに包みたい(=〜と思われる)版思考の能動型)の違い本家の英語のI think は思考した後に発言してる能動型で使われてるけど、日本人は受動型でつかわれてるからIt seems to me のが当てはまる他にも面白かったけど忘れてるってことは必要ない知識だったんだろうThis entire review has been hidden because of spoilers.
Tsugumi251 reviewsFollowFollowJune 18, 2022オリジナルは80年代に書かれている、ロングセラーの名著。最近の本の目次って、文章で説明が入っていたりして具体的で、なんの本か分かり易いですよね。しかし、この本の目次を読むと、ただの単語の羅列で、古く分かりづらそうな印象を受けました。ところが、読み始めるとめちゃくちゃわかりやすいことに気づきます。章ごとにわかりやすくコンパクトにまとめられ、それをギュッと凝縮した単語が目次となっている様に感動しました。まさに究極の抽象化です。本書で紹介されているメタ・ノートを私も真似してみます。脳は倉庫と工場の使い方ができる。コンピューターで、倉庫の役割は担える。ガラクタだらけの倉庫を整理して、工場からいろんなものを作れるようにする。眠ること、忘れること。人為的な忘れ方として、メモがある。アイデアが浮かんだら、書いて忘れる。後日見て、いいものを選り分ける。最後にメタノートにする。
真也 南1 reviewFollowFollowAugust 18, 2020『思考の整理学』_外山滋比古_この本は目的として思考を深めることに特化していない。「考える」の意味を著者なりに示している。学校では意味ですら曖昧な観念として単純化された文字として頭の隅に設置される。その中で実技を教えられないまま「考える」を強要されることには無理があること。この本では「考える」をただの観念から離脱させる手助けになるだろう。しかしこの本でも述べられているように: 思考とはつねに自分からのみである。あくまで「考える」ための助けを目的としている
誠一 加藤34 reviewsFollowFollowMarch 13, 2021飛行機になろうグライダー=自ら飛ぶことができない借り物の飛行機。そんな風に理解してみる。例えば学生さん。卒業論文を例にしてみると、自由課題なのに論じることができない。謂わば学校教育はこのグライダー予備軍製造場所に相当する。自ら考えることができない。本書は、お亡くなりになったお茶の水女子大学名誉教授・外山滋比古さんのエッセイ集。改めて問う、考えるとは。思考の在り方が、生き方にバラエティーを与える。すごくシンプルだか、直感的に考えることの楽しさが見えて来る。
遼馬 西崎8 reviewsFollowFollowApril 26, 2021頭が良い人は、記憶力とかではなく何か違うと思っていましたが、思考の整理の仕方が抜群にうまいのだなと読んでいて思いました。取り組むことが多いとパニック気味になることが多いですが、このような整理術を使って上手く活用したいと思いました。
Tatsuya Matsubara56 reviewsFollowFollowAugust 3, 20222022-22. 考えることは何か、考えているということは何か、どのように考えるか、など、思考とは何かを優しく説いてくれる良書。2022
JayJ9 reviewsFollowFollowFebruary 23, 2024如果是上大學前看這本書可能還能學到一點有用的學習方法,但這本書提供的做法其實卡片盒筆記就可以做到了,大部分篇幅實在是有點水。另外,作者說自己並不喜歡公開討論思考方式,我是看得滿頭問號。non-fiction productivity
Sung-Gi Kim148 reviewsFollowFollowJune 16, 2017本文から 人間には、グライダー能力と飛行能力とがある。受動的に知識を得るのが前者、自分でものごとを発明、発見するのが後者である。両者はひとりの人間の中に同居している。グライダー能力をまったく欠いていては、基本的知識すら習得できない。何も知らないで、独力で飛ぼうとすれば、どんな事故になるかわからない。 しかし、現実には、グライダー能力が圧倒的で、飛行能力はまるでなし、という”優秀な”人間がたくさんいることもたしかで、しかも、そういう人間も”翔べる”という評価を受けているのである。”三上”という語がある。その昔、中国の欧陽修という人が、文章を作るときに、すぐれた考えがよく浮ぶ三つの場所として、馬上、枕上、厠上をあげた。アメリカの女流作家、ウィラ・キャザーが、「ひとりでは多すぎる。ひとりでは、すべてを奪ってしまう」ということを書いている。一般的に言えば、ありきたりのもの同士を結び合わせても、新しいものになりにくい。一見、とうていいっしょにできないような異質な考えを結合させると、奇想天外な考えになることがある。…それに比べて脱線には義務感がともなわない。本来は周辺的なところの話である。それが印象的でいつまでも忘れられないというのは、教育におけるセレンディピティである。教室は脱線を恥じるには及ばない。断片的なひとつひとつの着想は、いわば、第一次的情報である。そのままでは、それほど大きな意味を持たない。これをほかの思考と関連させ、まとめて、第二次的情報にする。メタ・ノート人間は、文字による記録を覚えて、忘れることがうまくなった。それだけ頭もよくなったはずである。”時の試練”とは、時間のもつ風化作用をくぐってくるということである。風化作用は言いかえると、忘却にほかならない。古典は読者の忘却の層をくぐり抜けたときに生まれる。作者自らが古典を創り出すことはできない。忘れ上手になって、どんどん忘れる。自然忘却の何倍ものテンポで忘れることができれば、歴史が三十年、五十年かかる古典化という整理を五年か十年でできるようになる。時間を強化して、忘れる。それが、個人の頭の中に古典をつくりあげる方法である。思考の整理とは、いかにうまく忘れるか、である。第二次的現実は、第一次的現実についての情報、さらには、第二次的現実についての情報によってつくり上げられる観念上の世界であるが、知的活動のために、いつしか、しっかりした現実感をおびるようになる。ときとしては、第一次的現実以上にリアルであるかもしれない。知識とか学問に深くかかわった人間が、しばしば第一次的現実を否定して、第二次的現実の中にのみ生きようとするのは、このことを裏付ける。
Maju5 reviews3 followersFollowFollowNovember 19, 2007Just found out that I can add Japanese books, too. Very excited.