What do you think?


おさん
著者の言葉(本書「解説」より)
すぐれた小説は、いく通りにかくも生きたかった、あるいはこうも生きたい、という多くの読者の願いや希望を、架空の世界のなかに、虚構であるがゆえに実人生よりもなまなましいリアリティーをもって訴え、しかも彼等の遍路の杖になることさえ可能だ。ぼくはそんな小説を書いていきたい……。
さまざまな人生の、確かなカタチ。
洗練された短編小説の醍醐味がここに。全10編。
純真な心を持ちながらも、女の〝性〟ゆえに男から男へわたらずにはいられないおさん――。
世にも可愛い女が、その可愛さのために不幸にひきずりこまれてゆく宿命の哀しさを描いた『おさん』。芸妓に溺れ込んでいった男が、親友の助力で見事に立ち直ってゆくまでを描いた『葦は見ていた』。〝不思議小説〟の傑作『その木戸を通って』。ほかに『青竹』『みずぐるま』『夜の辛夷(こぶし)』など全10編を収める。
【目次】
青竹
夕靄の中
みずぐるま
葦は見ていた
夜の辛夷
並木河岸
その木戸を通って
おさん
偸盗
饒舌り過ぎる
解説:木村久邇典
※電子書籍版には解説は収録しておりません。
山本周五郎 (1903-1967)
山梨県に生まれる。本名は清水三十六(さとむ)。小学校卒業後、銀座の質屋で奉公、後に筆名としてその名を借りることになる店主・山本周五郎の庇護のもと、同人誌などに小説を書き始める。1926年、「文藝春秋」に『須磨寺附近』を発表、文壇デビューを果たした。その後15年近く不遇の時代が続くが、やがて時代小説の分野で認められはじめる。『日本婦道記』(1942-1946)で直木賞に推されるがこれを辞退、生涯で一個の賞も受けることはなかった。『樅ノ木は残った』(1958)、『赤ひげ診療譚』(1958)、『おさん』(1961)など次々と名作を発表し、人間に対する深い愛と洞察力で多くの読者の支持を得た。中でも『青べか物語』(1960)は著者畢生の名作として名高い。
すぐれた小説は、いく通りにかくも生きたかった、あるいはこうも生きたい、という多くの読者の願いや希望を、架空の世界のなかに、虚構であるがゆえに実人生よりもなまなましいリアリティーをもって訴え、しかも彼等の遍路の杖になることさえ可能だ。ぼくはそんな小説を書いていきたい……。
さまざまな人生の、確かなカタチ。
洗練された短編小説の醍醐味がここに。全10編。
純真な心を持ちながらも、女の〝性〟ゆえに男から男へわたらずにはいられないおさん――。
世にも可愛い女が、その可愛さのために不幸にひきずりこまれてゆく宿命の哀しさを描いた『おさん』。芸妓に溺れ込んでいった男が、親友の助力で見事に立ち直ってゆくまでを描いた『葦は見ていた』。〝不思議小説〟の傑作『その木戸を通って』。ほかに『青竹』『みずぐるま』『夜の辛夷(こぶし)』など全10編を収める。
【目次】
青竹
夕靄の中
みずぐるま
葦は見ていた
夜の辛夷
並木河岸
その木戸を通って
おさん
偸盗
饒舌り過ぎる
解説:木村久邇典
※電子書籍版には解説は収録しておりません。
山本周五郎 (1903-1967)
山梨県に生まれる。本名は清水三十六(さとむ)。小学校卒業後、銀座の質屋で奉公、後に筆名としてその名を借りることになる店主・山本周五郎の庇護のもと、同人誌などに小説を書き始める。1926年、「文藝春秋」に『須磨寺附近』を発表、文壇デビューを果たした。その後15年近く不遇の時代が続くが、やがて時代小説の分野で認められはじめる。『日本婦道記』(1942-1946)で直木賞に推されるがこれを辞退、生涯で一個の賞も受けることはなかった。『樅ノ木は残った』(1958)、『赤ひげ診療譚』(1958)、『おさん』(1961)など次々と名作を発表し、人間に対する深い愛と洞察力で多くの読者の支持を得た。中でも『青べか物語』(1960)は著者畢生の名作として名高い。
480 pages, Paperback Bunko
First published October 22, 1970
Ratings & Reviews
Friends & Following
Create a free account to discover what your friends think of this book!
Community Reviews
No one has reviewed this book yet.

